2020-01-01から1年間の記事一覧

とのさまと海(ばばけんいち氏のあとがきより)

… 原題は『殿様と海』。タイトルのストーリーもヘミングウェイ『老人と海』のパロディになっていてたいへん落語的です。初演は、2011年9月池袋演芸場での三遊亭白鳥三題噺の会。客席からいただいた「敬老の日」「釣り竿」「アルツハイマー」のお題をわずかの…

ぼくがゆびをぱちんとならして、きみがおとなになるまえの詩集

ばしょが、二か所あったら、それは、ひとつにならない。ぜったいに。 かこと、現在とか、みらいでも、ふたつのべつのじかんが、あったら、それは、いっしょにはならない。ぜったいに。 でも、ことばは、それを、ひとつにすることが、できる。 なにかをひとつ…

レーナ

ある日曜日、わたしはレーナにたずねたことがあった。「大好きだった人が死んだあとって、どんな気持ちがするものなの?」「ある朝、はじめて泣かないで起きることができたなって、そう思うでしょ。でも、次の朝はまた泣いてる。その次の日は、もしかしたら…

レーナ

レーナはポケットの奥にぎゅっと手をつっこんで、わたしを見て、それからまた地面に目を落とした。「だって、お母さんが出ていくの、見てたんでしょ、それでも意地悪しつづける人なんていないもん」「母さんが出てったなんて、言ってないわ。あのねえーー」…

英国の郷土菓子 お茶を楽しむ「ブリティッシュプディング」のレシピブック

■子供の上靴は黒色私の子どもが小学校に転入したとき、日本の白い上靴をもたせたところ、英国の上靴はまっ黒!? と知りました。靴屋さんへ行くとなるほど黒い上靴です。色が違うだけですが、それだけで自分の住んでいたところではない、違う国に来たんだと…

百合若大臣

■伝説になった波乱万丈の英雄物語 「百合若大臣」は日本の代表的な英雄伝説として知られています。といっても多くの伝説みたいにその地方で語り伝えられ、あるいは文献・記録などによって残されたものでなく、人気の語り物として演じられていたのが、あたか…

百合若大臣

百合若のことをおもうと、北の方は、もう じっとしておれなかった。 侍女たちをよび、百合若に へんじをおくることにした。侍女たちは、われもわれもと 手紙をかき、そのぶあついたばとともに、紫石のすずりとふで、それに おにぎりもそえた。 「さあ、一刻…

百合若大臣

しばらくして、緑丸は どこからみつけてきたのか、大きな柏の葉が 二、三まいついた板をくわえて、かえってきた。 百合若は 自分の指をかみきり、その血で、柏の葉に 歌を一首かきつけ、ていねいにたたんで 板にしっかりとむすびつけた。 「一刻もはやく、こ…

江戸のガーデニングより「朝顔」

■アッと驚く変化朝顔 ところで、現在ではアサガオのイメージといえばまず百人が百人、見慣れたラッパ型の花を思い描くに違いない。ところが江戸時代は違っていた。特に十九世紀初めに流行したいわゆる「変形朝顔」はおよそアサガオのイメージとはかけはなれ…

江戸のガーデニングより「朝顔」

■アサガオの来歴 アサガオは、日本原産の植物と思っている人が多いようだが、実は、奈良時代の末頃に遣唐使が薬種の牽牛子(けにごし)として中国から持ち帰ったのが最初と伝えられている。原産地は南アジア、ネパールなど様々な説があり、日本への渡来につ…

「江戸の園芸熱」の説明文より

三代目尾上菊五郎 三代目尾上菊五郎(天明四年〜嘉永二年、1784〜1849)は、多様な役柄を演じ分けた役者で、七代目市川団十郎と並ぶ名優である。恵まれた容姿で、養父初代尾上松助(松緑)よりゆずり受けた「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)…

太陽の塔

その巨軀の内には夢見る乙女のような繊細な魂が封じ込められているというソポクレス級の悲劇に気づくには、さらに一年半の歳月を要した。ある日、まるで暗雲が吹き払われたかのように、一挙に真実の光が彼を照らした。そうすると、実際のところ彼はその巨体…

「江戸のスポーツと東京オリンピック」展の説明文より

打毬 だきゅう 打毬は白・赤の2組に分かれて行われる団体戦で、競技者が馬上で先端に網の付いた杖(毬杖 ぎっちょう)を操り、地面に置かれた自組の毬をすくってゴール(毬門)へと投げ入れる競技である。競技会場となる馬場は長方形に仕切られ、短辺の片側に…

まぬけなワルシャワ旅行

「ラビのレイブと魔女のクーネグンデ」 なんども負かされるうちに、クーネグンデは敵ながらあっぱれと相手に尊敬をいだかずにいられなくなった。尊敬から愛情までのへだたりは一歩しかない。そうは言ってもクーネグンデには魔女としての愛しかたがあるばかり…

世界切手まつり2019「ムーミン切手展」の説明文より

トーベヤンソンの母シグネヤンソンは画家としても知られるが、その一方フィンランド銀行印刷局にデザイナーとして28年勤務し、数多くの切手のデザインも手がけた。シグネヤンソンのデザインによる最初の切手はトゥルク市700年記念切手(1929年発行)で、最終的…