百合若大臣

■伝説になった波乱万丈の英雄物語

「百合若大臣」は日本の代表的な英雄伝説として知られています。といっても多くの伝説みたいにその地方で語り伝えられ、あるいは文献・記録などによって残されたものでなく、人気の語り物として演じられていたのが、あたかも実在した伝説のようにあつかわれてきた創作ドラマです。もともとは室町時代に生まれた幸若舞(鼓にあわせて謡ったり舞ったりするもの)や説経節(物語に節をつけて聞かせるもの)の一つとして語られていましたが、民衆の心をとらえ、その後も「百合若物」と呼ばれて歌舞伎や浄瑠璃にもうけつがれ、ますます広く親しまれるようになりました。 

<中略>

しかし、まったくのフィクションであってもその誕生から将軍になるまでの波乱にみちたできごとは、あたかも実在した人物のようなリアリティがあり、すぐれた英雄伝説として納得させられるのも確かです。嵯峨天皇の御代に都の左大臣であった公満というひとが大和の有名な寺に願かけをしてさずかった観音の申し子である百合若が十七歳右大臣になり、歴史的事実である蒙古襲来の国難を救うのですからまさに伝説に登場する人物のように見えます。しかも凱旋の途中、別府兄弟にあざむかれ、玄海の孤島へ置き去りにされた後、壱岐の島人の舟で筑紫の浜につき、国司となった別府兄弟の館でみごとに仇討ちをしたとなれば九州の伝説と思わないひとはいないでしょう。事実九州ばかりか山口地方以南にもこの伝説が少なからず残っているそうです。
 したがって各地にその遺跡らしきものがあり、かつては百合若大臣の墓や別府兄弟の墓まであったといわれています。例えば『本朝俗諺誌』という書物には次のように書かれています。
筑前国玄海島は、百合若大臣配所の地にて、山上に廟所あり、この山を俗に男の高野といふ。男子この山に登れば悪風起りて山夥しく荒れて、時として命を失ふことあり、これは逆心別府を憎み、男の心は倭奸(ねいかん)なりとの憤りなりといふ。女人はさはりなし、これは故郷より妻女みどり丸といふ鳥に玉章(たまずさ)を越されし、その誠を感じたる故といひ伝ふ。)
 
<中略>

 いずれにしても、ギリシャ神話のオデュッセイア物語にも似たスケールの大きな英雄伝説として、また興味深い巨人伝説として、これからもたいせつにしていかなくてはならない古典であることにかわりはありません。なお、この絵本は「幸若舞」を参考に『御伽草子』から再話したものです。

(巻末の西本鶏介による解説) 

 

かつてはあったという百合若大臣の墓や別府兄弟の墓は現在どうなっているのだろうか。本編もおもしろかったけど、深掘りしたくなるようなことばかりのこの解説はさらにおもしろかった。オデュッセイア物語にまで話が広がっていくだなんて、ワクワク感がもう半端ない。

百合若大臣 (日本の物語絵本)

百合若大臣 (日本の物語絵本)