「江戸の園芸熱」の説明文より

三代目尾上菊五郎

三代目尾上菊五郎天明四年〜嘉永二年、1784〜1849)は、多様な役柄を演じ分けた役者で、七代目市川団十郎と並ぶ名優である。恵まれた容姿で、養父初代尾上松助松緑)よりゆずり受けた「天竺徳兵衛韓噺(てんじくとくべえいこくばなし)」での早変わりや、「鏡山旧錦絵(かがみやまこきょうのにしきえ)」の岩藤役などをたびたび上演し、工夫を重ねた。また養父と同様に、狂言作者や大道具方とともに「東海道四谷怪談」や「独道中五十三駅(ひとりたびごじゅうさんつぎ)」といった大掛かりな仕掛けの舞台を上演して成功を収めており、浮世絵や版本にも多数描かれている。

私生活では植木を愛好し、寺島村にあった「松隠居」という植木屋を買い取って別宅とするほどで、その見取り図や屋敷を描いた浮世絵には、多様な鉢植えと植木棚が確認できる。弘化四年には役者を一度引退して「菊屋万平」と名乗り、珍しい植木も楽しめる餅屋を開業するが、嘉永元年には「大川橋蔵」と名乗って舞台に復帰した。復帰後は上方の芝居に出演し、嘉永二年に江戸へ向かう途中の掛川で没しており、掛川の広楽寺の墓碑(当時)には「俗名 植木屋松五郎」と刻まれたという。 

 

歌舞伎には明るくないし、現在のところそこまで興味もないのだけれど、この三代目尾上松五郎さんについてはこの展示を見て、読んで、すこぶる興味がわいた。江戸園芸とそれにまつわるひとびとは、ほんと魅力的すぎる!