ぼくの美術ノート/原田治

宮田重雄の挿絵作法

 新聞小説は、百年前のメロドラマ、尾崎紅葉の『金色夜叉』でブレイクして、七十年前の吉川英治『宮本武蔵』で時代小説ブームに火がつき、そして戦後、五十年ほど前に獅子文六★のユーモア小説が大ブレイクした時代がありました。新聞連載が終われば、すぐに単行本が出版され、同時に映画も制作されて大ヒット、という具合でした。 
 毎日連載される小説には、連日新たに挿絵が添えられます。誰にでも小説の世界がイメージできるビジュアル化が伴ってこそ、新聞小説は広く大衆に支持されたともいえるでしょう。『自由学校』など、この頃の獅子文六の新聞小説では、洋画家の宮田重雄が挿絵を担当しています。この画家と小説家のファンであったぼくは、先頃、『青春怪談』の挿絵原画を、画家の残した古いアトリエでゆくりなく発見しました。

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物語と絵の息がピタリと合う瞬間。まるで映画の名場面を観るかのよう。市川崑監督の映画『青春怪談』(1955年)では、カット割りや美術衣裳を挿絵に似せて、読者に与えた原初イメージを優先したようです。新聞小説の黄金時代ですね。

★獅子文六
1893〜1969/リアルタイムで読んでいた小説では『バナナ』『大番』が好きだった。両方とも映画化されて、それも好きになった。はたちの頃『バナナ』を読んで、舞台となった神戸へ食べ歩き旅行をしたことがある。小説『箱根山』を読んでは、モデルになった芦之湯温泉の「松坂屋」に逗留したこともある。食べ物随筆も楽しく、社会批評的なエッセイでは辛口のユーモアが冴えていた。

 この『ぼくの美術ノート』は注釈も原田氏自らが書かれていて、本文同様、そちらもめっぽうおもしろい。特にこの獅子文六についての注釈は最高だと思った。私も『バナナ』大好きだよ!主人公のふたりにならって神戸で食べ歩きしたいよ!『箱根山』も大好きだよ!芦之湯温泉に行ってみたいよ!というか、これは聖地巡礼ってやつだよね? うらやましくてしょうがない。まずは『大番』のギューちゃんを思って兜町に行けばいいということなのだろうか(たぶん全く何も残ってないだろう)

 

 

ぼくの美術ノート/原田治

鉄斎と宝船

 正月二日の夜、よき初夢をみるため、枕の下に宝船の絵を敷いて眠る風習が中世からあったそうです。江戸時代には縁起物として宝船売りがやってくる正月の風物詩にもなった。福を呼ぶ宝船の図には、回文になっている歌、「なかきよの とをのねふりの みなめさめ なみのりふねの おとのよきかな」が、必ず添えられている。
 富岡鉄斎の描いた宝船は、いまも京都嵯峨の車折神社で売られています。鉄斎は明治21年から5年間、廃滅しかかっていた車折神社の宮司を務めて、独力でこれを復興させました。私欲はなく、自ら描く書画を売っては神社復旧の資金にあてていたそうです。それ以前にも鉄斎は大和の石上神社、堺の大鳥神社の復興にたずさわっていた。神道を仏教から独立させるための神仏分離令が出された後になっても、いっこうに顧みられず各地で荒廃したままの神社再興、古神道の独立にも努力を惜しみませんでした。しかしまた同じ頃、廃仏毀釈で仏教は排斥され、寺々が破壊されていたにもかかわらず、秦河勝が建立した太秦の広隆寺の牛祭を復活させたり、頽廃していた石川丈山の詩仙堂を修復して、幼少だった尼の後見人になったりしています。明治新政権に逆らうかのように、鉄斎が政府の方針を一部首肯しなかったのは何故なのか、ほとんど研究がなされていないようです。しかしてこれはぼくの研究テーマになりました。
 鎌倉時代から江戸時代までは、征夷大将軍による軍事政権の時代が700年近く続いたわけですが、歴史の途中、後醍醐天皇による天皇親政の復活で、日本国の支配者は二分され、傀儡天皇を擁立した足利軍事政権の北朝と、吉野に移った後醍醐天皇の南朝が滅びるまで、いわゆる南北朝対立の時代がありました。幕末になって現われた、復古神道に基づく勤王思想家たちは、ながらく続いた傀儡としての北朝天皇を否定して、天皇による親政を復活させるべく尊王論を打ち立てます。富岡鉄斎もまたこの勤皇精神を抱いた若き思想家でありました。明治になって車折神社の宮司になる前年にも、越前に赴き後醍醐天皇の忠臣新田義貞の墓を弔い整備したのは、南朝勤皇思想の顕れでしょう。というような事跡についてボンヤリと考えていたら、この鉄斎ゑがく宝船図の歌の意味が謎めいて、何故かダブル・ミーニングに読めてきたのです。
 ひとつは、「なかきよの とをのねふりの みなめさめ」を、「長き夜の 遠の眠りの みな目覚め」と訳して、長き夜は眠らずに過ごす大晦日のことで、一夜が明ければ皆おめでとうの正月元旦になる。そして宝船に乗る吉祥の気持ちよい初夢、「波乗り船の 音のよきかな」につながるという通常の解釈。
 もうひとつは、「なかきよの」部分を、「永き世の 遠の眠りの」としたならば、この歌には別の意味が含まれているのではなかろうか? というのがぼくの疑問なのです。そもそも回文というのが不思議で、頭から読んでも逆から読んでも同じであるけれど、もし同音意義で、言葉の意味に違いを持たせてあるとしたらどうか。逆から読むということには、暗号のような裏のメッセージが含まれているとも考えられるのではないか。
 「永き夜の」を、軍事政権下に天皇が置かれていた永い時世とすると、「遠の眠り」からいっせいに「みな目覚め」よ、いよいよ天皇親政による新しい時代が到来する。つまり後醍醐天皇の南朝革命。こんな読み方もできるのではないだろうか。勤皇の鉄斎は歌の裏にある復活の意味を良く知っていたのではないのか。などなど、冬の長い夜、ミステリーを読むように、さらなる推理を楽しもう。

 歌には詳しくないのだけれど、なればこそとても興味深く思った。回文というワードに引っかかったのもあるけど(私はコジヤジコ先生のファンだ)、すでに時代を経たものだからこそ歴史と重ねて意味を読みとろうとすることにロマンチシズムを感じた…のだけど、残念かな原田氏はもういない。だれかが彼の意思を継いで研究してくれているとよいなあ。

 

 

ぼくの美術ノート/原田治

クラインの青

 イヴ・クラインという現代美術家を知ったのは、十代の頃に観た映画、ヤコペッティ監督『世界残酷物語』(1962年)のなかの《人体測定プリント》制作のイベントが最初でした。そこには青絵具を塗った裸の女性たちが体を白紙に押し付けた図像ができるまでの、公開制作場面が映し出されていました。まず青一色のキャンバスを背景にして、タキシードで正装姿のクラインが現われ、横に居並ぶオーケストラを指揮するところからイベントはスタートします。しかし折角バイオリンの単音が鳴り出したところで、すぐに映画のテーマ曲「モア」(スタンダードナンバーとなった名曲)がかぶさってしまい、このシークエンスもまた連続するほかの場面「原爆実験の影響で方向感覚を失った海亀の産卵」や、「ビスマルク諸島の絶倫酋長、カミさんたちは体重120キロ以上!」などというヤラせくさいドキュメンタリー場面と等価に扱われていることが解かります。後にインスタレーションやコンセプチュアルアートと呼ばれるものを見た最初が、この映画だったためトラウマになったのが、ぼくには現代アートというものが、おしなべて単なる馬鹿げた催し物にしか見えなくなり現在に至ってしまったようです。
 後年になって、外国の近代美術館などで、実物の《インターナショナル・クライン・ブルー》をやっと見ることができました。深い群青色のフラットな大画面は、意外にも作者の存在や概念は希薄に感ぜられます。そして神秘的なとしかほかに言いようがない、眼前の青い色そのものに魅了されてしまいました。

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 単色画面の平面作品ということなら、すでに戦前のロシア構成主義時代にマレーヴィチやロドチェンコが試みています。クラインと同時期の50年代後半には、ニューヨークではエルズワース・ケリーやアド・ラインハートが理論武装を携えて、カラーフィールドやミニマルアートの嚆矢となる制作をはじめていました。イヴ・クラインから、あのクライン・ブルーを除いたら、かれの独自性はあまり無かったかもしれません。パリの現代アート界で孤軍奮闘をしていたイヴ・クラインは、1962年に35歳の若さで急死しました。あるアートバイヤーの方から聞いたところ、クラインの実作品は全体に少なく、早世したことで死後の名声はさらに高まり、一時期価格が跳ね上がったものの、青い顔料を使えば簡単に真似できるところから贋作が出回ったため、後に市場価格は急落してしまったそうです。

 MOTにあるイヴ・クラインの大きな大きな青い作品は私も大好きだ。なればこそ『世界残酷物語』(映画の存在と概要は知っていた)にクラインが登場していたと知って驚いた。驚いて、映画とクラインについてもっと知りたくなり検索していたら、他でもない原田治さんの生前のブログが出てきた。しかも「はてなブログ」! ここじゃん!

osamuharada.hatenablog.com

この美術エッセイ『ぼくの美術ノート』に書いてあったことより更に詳しいことが、幾分くだけた文章で書かれていた。以下引用↓

  1962年に、34歳で突然死んでしまいましたが、調べるとどうも変です。普通のバイオグラフィーって、死んだ年月日はあるけれど、時間までは記載されないもんでしょ。ところがクラインに関してはそれがある。わざわざ【6月6日6時】とね。 クラインの芸術観には、現代美術のヤヤコシイ概念ではなく、古い秘密結社の薔薇十字団(クラインは若くして入団していた)の、カバラやオカルト的な教義がもとになっているという解釈もあります。去年パリのポンピドー美術館での大回顧展の時には、そっちのほうの研究もすすんでいたようです。(日本の美術関係者には想像もつかないよね) クラインは、自らのイベントの映像が出ている、ヤコペッティの映画『世界残酷物語』公開の日に、最初の心臓発作を起こし、その一ヵ月後に三度目の心臓発作で死んでいます。結婚して子供も生まれたばかりでした。ただ奇妙な結婚式は新たに入団した別の結社で行われ、堂々と公表までしている。ね、謎めいた男でしょ。クラインは芸術家になる前は柔道家で、日本にも来ていて講道館の黒帯ですよ。あまりにヘンな芸術家なので、ぼくはかえって惹かれてしまうのでした。

 心臓発作を起こして亡くなってしまうくらい、クラインにとっては望んでいない出来の映画だったということなのか…。そうなんだろうな…。

 ともあれ、こちらのブログでクラインの死を「変」と言っている原田治さんの死も、ブログをたどったり亡くなった当時のニュースなどを調べてみると、どうにも不思議なことばかりだ。とても元気そうで仕事への意欲も旺盛なのに突然亡くなっているし、死因や亡くなった場所なども発表されていないし、そもそも亡くなった日から逝去の発表までに数ヶ月かかっている。オサムグッズは永遠だ!と私は信じているし(この夏のオサムグッズ展をきっかけにこの本も読んだ)、ご本人もミステリアスなひとを信奉するきらいがあるようなので、それはそれでよいのだろうけれども。

 

うさぎ座の夜/安房直子

 小夜は思いきって、となりのうさぎに、たずねてみました。
「あのう……この人形しばいの人形は、みんな、人間の手袋でできているのではないでしょうか。」
 すると、となりのうさぎはうなずいて、こともなげにこたえました。
「そうですよ」と。
 そんなことを、あなた、知らなかったのですかという顔つきです。それから、ひそひそと、こんなことをいいました。
「こういっちゃなんですが、人間て、だらしないですねえ。冬になると、手袋を、あっちこっちに落として歩く。あれはみんな、指人形にもってこいの材料なんです。それに気がついたのが、うさぎ座です。うさぎ座の座長が、ある日、北風さんにたのみましてね、道におちている手袋、みーんなあつめてくださいといったんです。そうして、あつまった手袋で、ああいう指人形こしらえて、しばいをはじめたんです。」
「でも、手袋の持ちぬしが見つかったときは、どうなるんでしょう。ちゃんと、持ちぬしにかえしてくれるんでしょうか」
「うーん、そりゃむずかしい問題だ。」
と、となりの席のうさぎは、腕ぐみをしました。それから、ぽつりとひとこと、
「裁判になるかもしれない」と、いったのです。
 裁判!
 小夜は、あきれてしまいました。たかだか一時間前におとしたものを、かえしてもらうのに、裁判だなんて……。

 

 うさぎは人間にも厳しかった。そもそもこのうさぎ、相手はこの場にいるたったひとりの人間と知っているのだろうから、それを思うに煽っているとしか思えない。

 

 

 

うさぎ座の夜/安房直子 

 毛糸のうさぎは、舞台のまんなかに進みでて、ぺこりとおじぎをしました。そのとき、この指人形の茶色い洋服のとなりに、ほんもののうさぎの耳がのぞきました。つまり、指人形をあやつっているうさぎの耳が、舞台に出てしまったのです。小夜はくすっとわらって、うさぎは、耳が長いんだから、しかたないなと思いました。ところが、お客のうさぎたちは、きびしいのです。
「耳が出てるぞ。」
「耳が出てるぞ。」
と、ゆびさすのです。なかには、立ちあがるうさぎもいます。自分の席からとびだして、いまにも舞台にかけあがりそうなうさぎもあります。あまりのさわがしさにおどろいて、小夜も立ち上がりました。
「練習不足。」
「練習不足。」
 観客のうさぎたちは、口ぐちに、大きな声をあげ、たちまち黒い幕がしまりました。

 

 人間の子どもが毎回ひとりだけ招待されるという「うさぎ座」の人形芝居を見に行った小夜の話…なのだが、うさぎがうさぎに厳し過ぎて笑う。「耳が出てるぞ」はまだしも「練習不足」だなんてもう悪口だよ!

 

 

図解 眠れなくなるほど面白い鳥の話/小宮 輝之

ヤツガシラは子どものエサ用として、子どもを1羽多く産む

「兄弟食いを親が共謀する唯一の鳥」

 多くの鳥は、理想の数より1つ多く卵を産みます。3羽育てることが理想な種では卵を4つ産み、4羽が理想な場合は5つ産むといった具合です。これは、卵の孵化の失敗や雛の病気による死亡、他の天敵に捕食されてしまうなどといったリスクの保険として、このような習性が鳥に備わっていると考えられています。
 しかし、そうではない種がいることが、研究によって明らかになりました。それは渡り鳥や旅鳥として少数が日本にも渡ってくる「ヤツガシラ」です。彼らは1羽多く産む卵を、なんと年長の雛のエサにしていたのです。つまり兄弟食いをしているということになりますが、ヤツガシラの雛は肉食する鳥のような鋭いくちばしや爪を持たないため肉を引き裂くことはできません。では、どのように兄弟食いをするかというと、孵ったばかりの一番小さな雛を親鳥がつかみ、年長の雛の口に放り込んでしまうのです。猛禽類の雛などは兄弟同士の殺し合いや雛の病死などにより共食いすることがありますが、親の共謀により兄弟を共食いさせる鳥は、今のところ他に類を見ないと考えられています。
 また、出産前にエサが豊富にある場合にも卵を1つ多く産み落とすことがわかっていて、親鳥の余った栄養を保存する食糧庫として計画的に産んでいるということです。

 子殺しといえばハヌマンラングールだけど、ハヌマンラングール(旧リーダーとの子を育てていて発情しないメスに自分の子を新たに妊娠させるため、新リーダーのオスが旧リーダーの子どもを殺す)とは意味合いが違うことに衝撃を受けた。実子ではないからでも、生きていくため邪魔になったからでもなく、「最初から子どもを子どもとしては見ずに食糧庫として見ているから」というとてもシンプルな理由。いや、そんな理由ってある? ホラー過ぎる。ある意味『ススムちゃん大ショック』だ。

 この本は2025年10月に刊行された本なのだけど、実は他の鳥にも、種にもいて、今後発見されていくのだろうか。飛躍し過ぎとは思いつつ、ひとのなかにも、そのような気持ちが生まれるようになったらいやだなあと思った。これまた飛躍し過ぎだけど、兵士にするために子どもを増やせ!という時代があったこともどうしても想起してしまう。つらい。今でも内戦下の子ども兵士がいる国ではゼロではないことかもしれない。現在のウクライナにはドローンの扱いを学ぶ授業があるという。戦時下のリアルはなんだってつらい。これは鳥の習性の話であって戦争の話ではないけれど、ついいろいろと他のことも考えてしまう。読書って、まあ、そんなものだよね。

 

 

いろいろ色のはじまり(月刊たくさんのふしぎ)/田中 陵二

猛毒と化学反応させる ━━━ 毒の緑、シェーレグリーン&パリグリーン

 

 いちばんはじめにこの本で登場した孔雀石をおぼえていますか?
 孔雀石はくだくと色が薄くなり、濃い緑を出すのが苦手です。そこで、化学者がいろいろ試してみたところ、銅鉱石と一緒に出てくるヒ素という物資を銅と組み合わせて化学反応させると、宝石のエメラルドのようにうつくしい緑色の絵の具ができることが18世紀にわかりました。シェーレグリーンとパリグリーンです。でも、ヒ素には強い毒性があって、この絵の具も強い毒です。にもかかわらず、この緑はとてもうつくしく、また色濃いため、ヨーロッパではこの緑色をつかった壁紙がとても流行りました。あとでわかったことなのですが、この壁紙にカビが生えると、住んでいる人を病気にするガスが出ます。ナポレオンが死んだ原因は、部屋にはってあったこの緑の壁紙だともいわれています。日本では、草もちの着色でこれをつかい、亡くなる人をだす、ひどい中毒事件を起こしてしまいました。きれいな色を求めて、人間はいろんな失敗もしてきました。

 

 ナポレオンの死因は胃がん説が有力らしいけど(そもそもセントヘレナ島に流されてから6、7年も経って亡くなってる)、それはそれとして、ひとびとの「うつくしい色」に対するこだわりというか執念のようなものに圧倒される。