クラインの青
イヴ・クラインという現代美術家を知ったのは、十代の頃に観た映画、ヤコペッティ監督『世界残酷物語』(1962年)のなかの《人体測定プリント》制作のイベントが最初でした。そこには青絵具を塗った裸の女性たちが体を白紙に押し付けた図像ができるまでの、公開制作場面が映し出されていました。まず青一色のキャンバスを背景にして、タキシードで正装姿のクラインが現われ、横に居並ぶオーケストラを指揮するところからイベントはスタートします。しかし折角バイオリンの単音が鳴り出したところで、すぐに映画のテーマ曲「モア」(スタンダードナンバーとなった名曲)がかぶさってしまい、このシークエンスもまた連続するほかの場面「原爆実験の影響で方向感覚を失った海亀の産卵」や、「ビスマルク諸島の絶倫酋長、カミさんたちは体重120キロ以上!」などというヤラせくさいドキュメンタリー場面と等価に扱われていることが解かります。後にインスタレーションやコンセプチュアルアートと呼ばれるものを見た最初が、この映画だったためトラウマになったのが、ぼくには現代アートというものが、おしなべて単なる馬鹿げた催し物にしか見えなくなり現在に至ってしまったようです。
後年になって、外国の近代美術館などで、実物の《インターナショナル・クライン・ブルー》をやっと見ることができました。深い群青色のフラットな大画面は、意外にも作者の存在や概念は希薄に感ぜられます。そして神秘的なとしかほかに言いようがない、眼前の青い色そのものに魅了されてしまいました。
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単色画面の平面作品ということなら、すでに戦前のロシア構成主義時代にマレーヴィチやロドチェンコが試みています。クラインと同時期の50年代後半には、ニューヨークではエルズワース・ケリーやアド・ラインハートが理論武装を携えて、カラーフィールドやミニマルアートの嚆矢となる制作をはじめていました。イヴ・クラインから、あのクライン・ブルーを除いたら、かれの独自性はあまり無かったかもしれません。パリの現代アート界で孤軍奮闘をしていたイヴ・クラインは、1962年に35歳の若さで急死しました。あるアートバイヤーの方から聞いたところ、クラインの実作品は全体に少なく、早世したことで死後の名声はさらに高まり、一時期価格が跳ね上がったものの、青い顔料を使えば簡単に真似できるところから贋作が出回ったため、後に市場価格は急落してしまったそうです。
MOTにあるイヴ・クラインの大きな大きな青い作品は私も大好きだ。なればこそ『世界残酷物語』(映画の存在と概要は知っていた)にクラインが登場していたと知って驚いた。驚いて、映画とクラインについてもっと知りたくなり検索していたら、他でもない原田治さんの生前のブログが出てきた。しかも「はてなブログ」! ここじゃん!
osamuharada.hatenablog.com
この美術エッセイ『ぼくの美術ノート』に書いてあったことより更に詳しいことが、幾分くだけた文章で書かれていた。以下引用↓
1962年に、34歳で突然死んでしまいましたが、調べるとどうも変です。普通のバイオグラフィーって、死んだ年月日はあるけれど、時間までは記載されないもんでしょ。ところがクラインに関してはそれがある。わざわざ【6月6日6時】とね。 クラインの芸術観には、現代美術のヤヤコシイ概念ではなく、古い秘密結社の薔薇十字団(クラインは若くして入団していた)の、カバラやオカルト的な教義がもとになっているという解釈もあります。去年パリのポンピドー美術館での大回顧展の時には、そっちのほうの研究もすすんでいたようです。(日本の美術関係者には想像もつかないよね) クラインは、自らのイベントの映像が出ている、ヤコペッティの映画『世界残酷物語』公開の日に、最初の心臓発作を起こし、その一ヵ月後に三度目の心臓発作で死んでいます。結婚して子供も生まれたばかりでした。ただ奇妙な結婚式は新たに入団した別の結社で行われ、堂々と公表までしている。ね、謎めいた男でしょ。クラインは芸術家になる前は柔道家で、日本にも来ていて講道館の黒帯ですよ。あまりにヘンな芸術家なので、ぼくはかえって惹かれてしまうのでした。
心臓発作を起こして亡くなってしまうくらい、クラインにとっては望んでいない出来の映画だったということなのか…。そうなんだろうな…。
ともあれ、こちらのブログでクラインの死を「変」と言っている原田治さんの死も、ブログをたどったり亡くなった当時のニュースなどを調べてみると、どうにも不思議なことばかりだ。とても元気そうで仕事への意欲も旺盛なのに突然亡くなっているし、死因や亡くなった場所なども発表されていないし、そもそも亡くなった日から逝去の発表までに数ヶ月かかっている。オサムグッズは永遠だ!と私は信じているし(この夏のオサムグッズ展をきっかけにこの本も読んだ)、ご本人もミステリアスなひとを信奉するきらいがあるようなので、それはそれでよいのだろうけれども。