水の妖精 睡蓮と蓮の世界

2000年の時を経て蘇った大賀ハス

 「大賀ハス」この名前は、ハスに特別な興味がなくとも、名前だけは聞いたことがある、という人が多いのではないだろうか。なにしろ、「2千年の時を経て蘇った古代のハス」である。古代のロマンは人々の心をかきたて、国内のみならず海外にまで報じられて大きな話題となった。

 このハスは千葉県検見川東京大学グランド(現在の東京大学検見川総合運動場)の地下より発見されたものだが、この場所はもともと草炭の採掘場で、ことの発端はここから古代の丸木舟が発見されたことによる(1947年(昭和22年)。

 この発見から本格的な発掘調査がはじまり、1948年から1949年にかけての調査で、この場所は古代の船溜まり跡であると推測された。

 それから2年後の1951年(昭和26年)3月30日、植物学者の大賀一郎博士(1883-1965)は、この遺跡を地元中学校の生徒とともに訪れ、発掘調査を行った。そのときに草炭層の下にある青色粘土層から発見されたのが、3粒のハスの種である。

 発見された時期は戦後の混乱期、そして発見された場所もかなりの深さであり、この発掘作業には相当な苦労があったようだ。発見されたタネは大賀博士によって発芽を試みられたが、そのうちの一粒が見事に発芽した。ハスの種子は非常に頑丈で、通常数十年しか持たないと言われる一般的な水草埋蔵種子より長期間持つのは確かだが、古代遺跡から発見された種子が発芽するというのは文字通り奇跡のような出来ごとである。これほど長期にわたって発芽能力を失わなかったのは、まさに植物の神秘と言うほかあるまい。ちなみに、発芽したタネは発掘作業を行った中学校の女生徒が発見したものと言われている。

 発芽したタネは順調に生長し、やがて分根されて数カ所に分けられたが、そのうちひとつがピンク色の優美な花を咲かせた。花は一重の大輪で、花弁は舟形、花弁の節があまり目立たないのが特徴である。この美しいハスは、大賀博士の名前から「大賀ハス」と命名されることになった。

 ところで、大賀ハスは2千年前のハスと言われ、別名2千年蓮とも呼ばれているが、この2千年というのは正確な年代ではなく、あくまで推測でしかない。というのも、大賀ハスの種子自体は発芽に使ってしまったため、年代測定が行われていないからである。

 2千年という数字は発掘現場の丸木船の年代測定から推測したもので、正確な年代は残念ながら判っていない。

 正しい年代はともかくとして、やがて大賀ハスは、分根先のひとつである地元千葉市の弁天池から日本各地に分根され、いまでは公園や植物園で夏の風物詩として人の目を楽しませている。古代のロマンをかき立てる大賀ハスが、多くの人々に親しまれていることは事実であり、あまり細かいことを気にする必要はないだろう。

 

え? 何頁か前に「後の鑑定により、約2000年前の種であることが確認された」とあったよね? でもこちらのより詳細な見開き記事には「大賀ハスの種子自体は発芽に使ってしまったため、年代測定が行われていない」とあるから混乱。そもそも、なぜ船溜まり跡、丸木舟の発掘に植物学者が立ち会ったのだろう?ということからして、自分のなかに不信感が生じてしまう。戦後の混乱期の話であることや、複雑な発見場所であるにもかかわらず発見者は中学生であることなど、いろいろと邪推したくなる要素が次々と…。でも、この作者も「古代のロマンをかき立てる大賀ハスが、多くの人々に親しまれていることは事実であり、あまり細かいことを気にする必要はないだろう」とまとめてるしね!うん、そうだよね!