植物学とオランダ

 アジサイといえばシーボルト、お滝さんと三題話のように、誰でもがシーボルトとの関連を知っていよう。シーボルトが採集した標本や、川原慶賀が描いたアジサイの仲間の絵などに添えられた名称からは、少なくともシーボルトが来日した頃にアジサイと呼ばれていた植物には、今日のガクアジサイが含まれていたことが判る。アジサイの顔ぶれは多彩であり、来日したシーボルトが特別な関心を寄せたことが頷ける。

<中略>

 誰でも知っているアジサイだが、その来歴や植物学上での認知を歴史を追って調べてみると、幾多の混同や混乱などがあってなかなかややっこしいし、いまもってこうした混乱の一部は未解決のまま引き継がれていることが判る。それは、園芸バラほどではないにしても、人間とのかかわりの深いどの植物にもみられることといってもよいだろう。

 アジサイの存在を最初に知った植物学者は、リンネの高弟でもあるスウェーデンのツュンベルクである。彼は一七七五(安永四)年に来日し、日本の最初の植物史である『フロラ・ヤポニカ』(Flora japonica, 『日本植物史』ともいう)を一七八四年に著した。ツュンベルクが研究に用いた標本はスウェーデンのウプサラ大学に保管されているが、アジサイでは四点の標本が残されていて、これを研究した東京大学の故原寛教授は、一九五五年に論文を書き、そのうち二点は日本でツュンベルク自身が採集したもの、他の二点の標本はウプサラのツュンベルクの私邸での栽培株からつくられたものであるとした。

 アジサイの存在を最初に明らかにした功績はツュンベルクに帰せられるのだが、彼の研究は少なくとも一八三〇年まで等閑視されることになる。その理由は、彼がアジサイやその仲間の植物をカンボクと同じスイカズラ科ガマズミ属に分類してしまったことにある。ツュンベルクの学説を正し、これをアジサイ属の種として再定義したのは、後にリヨン大学の植物学の教授兼植物園長となったスランジュ(一七七〇 ー 一八五八年)で、それは一八三〇年のことだった。

おお、またしても愛しのツュンベリーの名が!てゆーか「シーボルト」はいつだって「シーボルト」だけど、「ツユンベリー」の表記はものによって違う。というのがちょっとかなしい。最も興味深い人物である「ヅーフ」なんて記述があることのほうが稀だし。


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