赤ちゃんと脳科学

一九六三(昭和三八)年にヒットした曲に、『こんにちは赤ちゃん』(作詞 永六輔、作曲・編曲中村八大)があります。この曲の「初めて出会ってこれから親子になるのですよ」という内容の歌詞には、日本人が忘れかけている大切な意味があると私は考えています。

 最近では、医学の進歩によって、出産までに何度でも胎児を超音波診断できるようになりました。そのため、生まれてきた子どもに対する、「はじめまして、こんにちは」という気持ちは薄らいでいるのかもしれません。

 しかし、「はじめまして」や「こんにちは」という挨拶が、本来どのような場面で交わされるのかを考えてみると、どちらも、別々の場所にいた人と人がある共通の空間で出会ったときに生まれる言葉であり、感情だということに気づきます。

 そしてあの歌のように、赤ちゃんは、出産を経て初めていろいろな人と出会います。赤ちゃんと私たちとの出会いが「はじめまして」で始まるなら、その後接していくうちに誤解や勘違いが生じたとしても何ら不思議ではないのです。

 こんなふうには考えられないでしょうか。

 ―たとえ母親のお腹の中にいた存在でも、子どもと親は、結局は別々の人間だ。そして赤ちゃんは、「母親は自分とは別の存在で、母親の愛情をつなぎとめることはとても大切だ」ということを知っている。だから、微笑や泣きという親の愛情を引き出すための能力をもって生まれ、けなげに笑ってみせるのかもしれない。あるいは「こうでもしないと母親はこっちを振り向いてくれない」と思って泣いているのかもしれない―

 赤ちゃんのしぐさにはまぎらわしいものがたくさんあります。ですから、親が一方的に「赤ちゃんのことは何でもわかる」と思い込んだり、逆に「何もわからない」と投げ出すのは困りもので、本当は、誤解や勘違いを埋めながら、親子の絆を作り上げていく作業が子育てなのです。

 赤ちゃんに限ったことではなく、オトナになったところで相手の気持ちや行動をすべて理解できるなんてことはありえない。いずれにせよ、生きていくということにはどこまでもコミュニケーションの問題がついてまわるということなのか。とりあえず「中のひと」が出てきた際にはなぁなぁで終らせず、ちゃんと「はじめまして」と挨拶しておこう。と思う。


赤ちゃんと脳科学 (集英社新書)

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