花と木の文化史

 日本では、比較的古くから庶民のなかに花卉園芸文化が浸透していた。

 幕末にプラント・ハンティングに来たフォーチュン(この人については後述する)は、つぎのように述べている。

  「馬で郊外の小じんまりした住居の農家や小屋の傍を通り過ぎると、家の前に日本人好みの草花を少しばかり植え込んだ小庭をつくっている。日本人の国民性のいちじるしい特色は、下層階級でもみな生来の花好きであるということだ。気晴らしにしじゅう好きな植物を少し育てて、無上の楽しみにしている。もしも花を愛する国民性が、人間の文化生活の高さを証明するものとすれば、日本の低い層の人びとは、イギリスの同じ階級の人達に較べると、ずっと優って見える。」(三宅 馨訳『江戸と北京』広川書店)

 幕末時代に、日本では花卉文化はこの証言のように社会の最低層まで浸透していたのである。ここで比較の一方であるイギリスの状況は、基本的には現在でもあまり変わっていないように私には感じられる。私はエジンバラとロンドンのキュー植物園のシャクナゲ類の満開期に訪ねたことがある。それは世界に著名なシャクナゲのコレクションで、管理もゆきとどき、すばらしい光景である。ヒマラヤでも、こんなにみごとに花の咲きそろった、いろいろのシャクナゲが並んでいるさまはまず見られない。ところが見物人は私のほかにはチラホラしか居ないのだった。日本ならサクラでも菊でも、ボタンでもハギでも、アジサイでも、その名所に花が咲けな群衆が押しかける。これはやっぱりイギリスの大衆レベルのところに花に対する趣味と関心がないからであろう。イギリスは今でも堅固な階級社会となっているといわれるが、イギリスの花卉文化もまた同じように階級格差が依然として存在しているといえるのではないか。

 日本では幕末には花卉文化は最低層まで普及したが、いつ頃からそうなったであろうか。日本の花卉文化は奈良朝の頃から文献的にみられるが、それは世界の他の場所と同じように宮廷を中心とした上流階級のものであった。そして、花卉文化が日本社会で大衆に普及しはじめたのは、たぶん十七世紀末の元禄時代くらいからだろううと私はみなしている。それは西ヨーロッパより二〇〇年は早い年代におこったということになる。

つまりガーデニングよりも軒先、ということだよね。うん。

 

花と木の文化史 (岩波新書)

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