花と木の文化史

 江戸時代の園芸文化はアジアの花卉園芸文化の第二次センターとして、日本的特色を発揮して、大発展をした。それは中国という第一次センターを凌駕し、また西ヨーロッパに優るとも劣らずというより、一時期、たとえば江戸中期の元禄時代などには、西ヨーロッパより先進していたと評価できるものである。江戸期の日本の花卉園芸文化は全世界の花卉園芸文化の中で、もっとも特色のある輝かしい一時期である。しかし明治に入ると、それは衰えはじめ、築きあげられた特色は忘れられ、その文化の大部分は社会的に埋没しつつある。

 江戸期の日本の園芸文化の特色を数えあげると、つぎのような諸点が指摘できる。

 (1)園芸文化が世界に先がけて、庶民の末端まで普及した。

 (2)中国の花卉文化がシャクヤク、キクなどを除いて、庭木の花木類が中心であったのに、日本では草本性のサクラソウハナショウブなどを園芸化し、それを改良して多数の変わった品種をつくりあげた。

 (3)古典園芸植物とよばれるいくつかの小型の栽培植物を尊重して、奇妙な品種をつくりだしてきた。

 (4)変化咲きアサガオとよばれる、毎年その種子を創造的な手法でつくりだす園芸、つまりパフォーマンスの極地の園芸が生まれた。

 (5)造園用の特色のある樹木、灌木の品種がつくられ、ツツジ類や針葉樹のヒバ類と総称されるものが成立した。

 (6)盆栽が中国的な盆景から蛸造り型をへて、自然美型盆栽へとすすんだ。

 (7)斑入り葉のある斑入り植物の価値を認識し、きわめて多種類のそのような品種を世界に先がけてつくりあげた。

 (8)花見や菊人形のような大衆の参加する花卉文化が発展した。

 (9)花卉の同好団体が多く誕生した。

 (10)植木屋、庭師といった花卉園芸文化の専門業者が出現した。また園芸書の出版がはじまった。

 これらの特色は現在の日本では、どのことでもしごくありふれていて、当然のことのように思われるであろうが、江戸期以前にはその大部分は存在しなかったことである。庶民が花を楽しんだり、花卉、庭木の品種改良があったり、植木屋のような専門業種のあることは、どこの国でもいつの時代でもあったことだと考えるのはあやまりである。このような花卉園芸文化の中に現在ではありふれたことが、江戸期には世界のどこよりも、当時の西ヨーロッパよりも先がけて展開したのである。

だいぶ前のことだが興味本位で変化咲きアサガオに関する講演会に行ったら、(現存する)愛好者たちの熱気にあてられ驚いた。ということを思い出した。また、斑入りものに対する情熱や同好団体の発生などには、チューリップバブルを連想させるものもあってドキドキしてくる。いずれにせよ「江戸時代からすでに、かつ連綿と」ということについては素直に感嘆せざるえない。


花と木の文化史 (岩波新書)

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