母乳

 母性愛は長いあいだ本能であると考えられてきました。自己保存本能や種族保存本能と同じように、すべての女性は生まれつきそういう本能をもっていると考えられてきたのですが、それはすべての女性が生得的にもっている欲求であるとは認めがたいとおもわれます。女性が生まれつきもっている素質は、だれかがあるはずみで火をつけたら燃えさかるであろうという可能性です。それは、少なくとも子が成人に達するまでは燃えつづける火であり、彼女の生涯を通じて燃えつきることのない火です。最近、フランスのエリザベート・バタンデールは、『おまけの愛』(L' Amour en Plus, de l'Amour Maternel 、鈴木晶訳『プラス・ラブ』サンリオ刊)という著作を著わしました。彼女は、エコール・ポリテクニックという第一級のエリートの学ぶ学校で思想史を講じている人文科学の畑に属する研究者ですが、ヨーロッパとくにフランスにおける女性観、母性観の変遷をこの著書の中で、文献的に詳しく述べています。その結論は、母性愛という本能的愛は存在しない、本能として存在するのは自己愛と異性愛であって、母性愛はこれらにつけ加えられた愛にすぎないというのです。

 母性愛が本能としては存在しないということになりますと、日本の文学、謡曲や戯曲にあらわれる、「隅田川」に代表されるようないわゆる母子ものと呼ばれる系列のストーリー、大衆の胸を打ち共感を呼んできた物語のかずかずは、何によってその命脈を保ってきたのか、ということが当然問われますが、その答は、説明としては比較的簡単です。今しがた触れましたように、成母期という感受性期に、本能に酷似した愛、母性愛が点火するからです。自然は、哺乳類と呼ばれる一群の動物群の繁栄のために、自己愛と異性愛という愛の他に、母性愛というもうひとつの愛を本能として準備する必要はなかったのです。何者かによってその愛に火がつけられ、その愛の火が燃えさかり執拗に燃えつづけさえすれば、自然は哺乳類の繁栄のためにそれ以上を準備する必要はなかったのです。油は燃える性質をもっていますが、それが燃えるためには誰かがそれに火をつける必要があります。その火をつける者を自然は用意しておけばよかったのです。ところで、風は、いつも吹いているのではありません。出産のあとの二週間ほどのあいだ、火を点けるための風は吹くのです。この風の吹いている二週間ほどのあいだに何かのはずみで点火が行なわれなかった場合には、火つきは悪くなり、ともすれば消えがちな火しかつかないということになります。人間の場合、知性という風の故に火はどうにかつきますが、ヒト以外の動物においては、この時期を失すれば火は永久につかないでしょう。

この後に引用される河合雅雄教授の文章も含め「でもでもハヌマーンは火がついてても(新しいオスのために)子どもを殺しちゃうんだよ?」と反論したい部分もなくもないが、そんなことはともかく「母性愛」というイヤなプレッシャーをかけられずにすむのは実にうれしい。素晴らしい論だ。と思った。


母乳 (岩波新書)

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