分娩台よ、さようなら

 難産になりそうな人は妊娠中からわかります。初心でお目にかかった時点で、かなり予想できます。具体的にあげれば、まず太っている人、妊娠中にたくさん体重を増やした人、身体の固い人、運動不足で体力がない人、それまでの人生で不自然な暮らしを長くしてきた人などです。それぞれの要素は、相互にとても関連しています。ひとつに当てはまる人は、全部の条件に当てはまってしまうということもあるでしょう。残念ながら、病院の産科の待合室にはそういう方が少なからずいらっしゃいます。

<中略>

 それから、難産になりやすい、もともとのどうしようもない条件もあります。たとえば、背が低かったり、妊娠前からもともと太っていたり、少し年齢が上になってからはじめての妊娠をしたりなどの、どうしようもない条件です。けれども、こういった条件にあてはまる方も、あきらめたり、絶望なさる必要はありません。妊娠できる人は産めます。なぜなら、産めるから妊娠できるのです。産めないのに、妊娠するはずがないというのが、生きものの原理のはずだからです。もともと条件のいい人と競争はできませんけれど、妊娠中の生活次第で、だれもがその人なりの安産にたどり着くことができます。

「もともとのどうしようもない条件」がほぼ全てあてはまるうえ遺伝的な問題や持病まであるし、これまでの診察結果で「中のひと」にはすでに不安傾向があると医師から勧告を受けていたりもするわけだが、それでも以前よりはずっと体調も良いし、何よりも主治医に「だいぶ元気になりましたね。このくらい元気になったならもう妊娠しても大丈夫ですよ」とニコニコ言われた年に突然「中のひと」はやって来た、というのもあるので妙に納得しもする。

とりあえず身体は固くないし病弱ではあるけれど気合いと体力だけはたぶんにあるので(この本を通して読んで思ったことの一つに、病院というもの自体になじみのある私って、あの無機質さにさほど違和感をおぼえないどころかむしろ心地よささえ感じてしまう私って、ある意味お得なひとなの?というのも正直ある)できるだけのことはしてみよう。努めてみよう。と、あらためて思えた。それはとても嬉しいことだ。

この本をくれた妊婦仲間でもあるKちゃんに感謝。そして彼女を引き合わせてくれた彼女のパートナーや、その恋人と出会えたサイトに、ネットに感謝。出会いの神様って(音楽の神様や映画の神様と同様に)本当にありがたいよな。としみじみ思う。

 

分娩台よ、さようなら―あたりまえに産んで、あたりまえに育てたい

分娩台よ、さようなら―あたりまえに産んで、あたりまえに育てたい