被差別の食卓

 アメリカと同様に、オクラを使ったブラジル料理のほとんどは、黒人料理といって良いだろう。だからバイーア州の家庭料理には、オクラを使ったものが多い。

 日本語でも英語でも「オクラ」と呼ばれるこの野菜だが、その名称のルーツはアフリカ言語である。奴隷とともに北米大陸に渡り、そして世界に広がっていったのである。オクラ料理のほとんどが黒人料理なのもアメリカと同じだ。

 米国に住んでいたとき、近所にあったカントリーレストランがお気に入りだった。そこに行くと「フライドオクラ」という名の「オクラ炒め」を食べることができ、つまりそれがお目当ての一つだった。当時は「OKURAとういのはDAIKONやKAKIと同じで実物と一緒に日本語もそのまま輸入して定着したんだろうな」と思っていた。だからそれは私にとって「日本の味」を思わせるもので、つまり妙においしく感じられた。「それが何故アメリカのカントリーレストランに?」なんてことで深く考え込んだりはしなかった。図書館等にある「米国の偉人100」といった類の本に野口英世が(米国人として)掲載されているような国なのだから、そんなことは気にせずともよいと思っていた。

 帰国してしばらくしてから、オクラはもともとアフリカ原産の野菜で、その名前自体もアフリカの言葉からきているのだと知った。アフリカ出身の友人が「まさか日本でオクラを食べられるとは思ってなかったよ!」と言ったときは、なんだか嬉しくなってワクワクドキドキした。でもこの一節を読んだときは少しショックだった。そうか「奴隷とともに広がったのか」と思うとなんとも切ない気持ちになった。日本に入ってきた経緯、その歴史もくわしく知りたくなった。


被差別の食卓 (新潮新書)

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