赤ちゃんと脳科学

 あくまでも私見ですが、赤ちゃんを見ていて思うのは、人間(とりわけ子ども)は幸福感を増長させる機能よりも、むしろストレスを防御しようとする機能のほうが、より強く効率的に働くしくみを備えているのではないでしょうか。

 たとえば、未熟児に採血注射を繰り返すと、何度めかでほとんど泣かなくなります。これは第1章で述べた馴化によるもので、外からの刺激に対する一種の防御機能とも考えられます。

 また、生まれたばかりの赤ちゃんは、一日のほとんどを寝て過ごしていますが、この眠りを見ていると、赤ちゃんが環境とどのように相互作用しているかわかることがあります。なかなか泣きやまない赤ちゃんを外に連れていくと、太陽のまぶしさに目を閉じ、そのうちうとうとと眠ってしまうことがあります。赤ちゃんは周りが騒がしかったり明るいと目を閉じ、逆に部屋を暗くしたり静かだと目を開けるのです。

 こうしたことから、生まれたばかりの赤ちゃんでも、周囲からの刺激を積極的に受け入れたり、逆に眠って拒否したりしているのではないかと考えられます。

 母親の生理的な変化がもたらす胎児への影響についても同じことがいえます。胎児といえども周囲からの刺激を無条件に受け入れているわけではなくて、母親の生理的な変化を感じながら、受け入れるかどうかを選択したり、場合によっては拒否するような反応もみせるのです。

<中略>

 あるグループが出産直前に破水した子宮の中へマイクを入れて、子宮内の音の状態を調べています。それによると、胎児は外部の会話や音、母親の心臓や血液の音、食べた物が消化器官を通る音を聞いていることがわかりました。

 ただ残念なことに、お腹の中で聞こえる外の音は、実際の音とはかなり違って聞こえるという結果が出ています。母親の身体や羊水を隔てているので、まるでプールの中に潜ったときのように聞こえてしまうのです。音の三要素のうち、周波数の違いによる高低や音量の強弱などは聞きわけられるかもしれませんが、言葉そのものを明瞭に聞きわけることはできないと考えられます。

 したがって、胎児への語りかけの意味は、胎児自身がそれを聞きわけているかどうかということよりも、それを行うことで母親の気持ちがリラックスし和らぐという点にあるのではないでしょうか。

<中略>

 私たち大人が学習するときに使うといわれている大脳新皮質は、胎児の場合、未完成です。それ以前に、大脳新皮質だけが人間の学習に関係しているかどうかさえも現段階では不明なのです。ですから、本当に胎児に記憶力があるのか、そして、胎教が有効なのかを知ることはもっと先の課題です。それよりも胎児にとって最適な「環境」がどのようなものなのかを調べるほうが、先決のように思われます。

 もし、特殊な条件下で希有なケースがみられたとしても、それだけで胎教が必要だという根拠として一般化してしまうのは、性急すぎるといえるのです。

 胎教を悪いことだとは思いません。しかし、まだ会ってもいないお腹の赤ちゃんに、将来的な成果を求めて胎教をするのは、従来の上へ上へと伸びていく右肩上がりの発達感にとらわれすぎているといわざるをえません。それよりも、子どもは授かりものという考え方を、もっと見直してもいいのではないでしょうか。

<中略>

それを踏まえていえば、胎教は、胎児に対してさほど影響はないもの、つまりどうでもいいものと私は思っています。ただそれをすることで、親が幸せに感じるのなら、あえて否定はしません。しかし、それを煽って商売にするのはおかしいと思います。

 最近では、胎児の3D画像が超音波で観察できるようになりました。今後ますます胎児の研究が加速されると思います。

 しかし私は、もっと胎児のことを知りたいと思うと同時に、知るべきではないかもしれない、とも思うようになりました。元気に動いている胎児の動きを感じて、我が子の健康を喜ぶ母親のほうが自然で、同じように赤ちゃんを見ていても、超音波で映し出される胎児の映像に喜ぶ私たちの存在が何とも奇妙に思えるからです。

 ましてや、外からいろいろと刺激を与えて教育するなどということは、いかがなものでしょうか。生まれて間もなくから激しい教育競争に巻き込まれるかもしれない赤ちゃんを、せめて子宮の中では静かにしておいてやりたいと思うのです。

書店の出産・育児本コーナーをのぞくたび「胎教あるいは早期教育に関する本」の多さにうんざりしていたので、特に「胎教用CD付き」なんて書籍を目にすると腹が立ってしまうくらいだったので(音楽への冒涜とも言えるんじゃないか、あれは)、なんだか嬉しかった。てゆーか、こういった本もくだんのコーナーに並べておくほうがバランスがとれると思うのだが、政治的な理由を考えるとまず無理なんだろうな…(それが資本主義というものなんだろうし)。




赤ちゃんと脳科学 (集英社新書)

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