霊長類学のすすめ「コミュニケーションの進化:正高信男 」

赤ちゃんを誤解する人間の本能

 両者を分かつのは、人間に独特の赤ちゃんの見方であると考えられる。育児語というのは、一種コロンブスの卵で指摘されれば、誰しも心当たりがあることに違いない。「悦ちゃん」と女性に呼びかけるにしても、相手が成人の場合と赤ちゃんとでは、おのずと音の響きは違ってくる。ただし、それでは幼い子に対してなら常に育児語が出るかというと、そうとは限らないだろう。ならば、どういう状況で出やすいかというと、相手を「かわいい」と感ずることがポイントということに、我が身を顧みたとき、思いが及ぶのではないだろうか? またたとえ、我が身に覚えがないとしても、「かわいいっ!」と若い女性が上げる嬌声を耳にしたことのない人は、いないのではないだろうか。たとえば、図5-3の二枚の写真がこうした完成(ママ)を引き起こす典型例かもしれない。赤ちゃんが笑っている。思わず、こちらも心がなごむ。すると声のトーンも高くなっていく。しかし実際には、この類の乳児の笑いというのは、「おかしい」とか「心地よい」という感情を反映した表出ではないことが判明しているのである。上の図のほうは、新生児微笑といわれ、出産間もない時期の行動である。けれども本人は睡眠中であって、機械的に生ずる。現に、胎内期の胎児ですら同じことをしているという。また下の図は三か月児の写真で、しかもカメラの方向へほほえみかけている様子がうかがえるものの、実はこちら側に置いてあるのは、右ような福笑いもどきの絵にすぎないのだ。

 人間の顔面のような図形をみせれば、このころの子は、とりあえず笑ってみせるようプログラムされている。それでは初期の乳児が、どうして快と感じなくとも周囲に笑いを振りまくのかというと、まさに大人に「笑っている」と誤解させ、かわいいと自分を感じさせるため、ということに落ち着いてしまう。それゆえ、いまここで二枚の写真の子供は本当の意味では笑っているわけではなく、我々を一種、欺いているのだと説明したところで、やはり彼らの「かわいい」という印象は全く損なわれないのである。そして、かわいいという印象は意識するしないにかかわらず、当人の口調を育児語の形へ促していく。他方、おしなべてヒト以外の動物には、仲間に向けてこれと類似した思いを抱くことはない。

産婦人科の待合室でこれを読んだ、というのはなかなかおもしろい体験だった。また、どう考えてもこの例に出されている写真の子が「悦ちゃん」なんだろうな、と思うとそれもニヤニヤおかしかった。