自然の中の光と色

 虹の色というと、七色というふうに私たちは教えられている。そうしてこの七色は、太陽光の反射や屈折でできるのだから、太陽光のスペクトル(カラー?)と同じはずだと、しばしば語られる。虹が、空気中に浮かんだ微小な水滴による太陽光の屈折からつくりだされることは正しいのだが、多分、虹の色が何種類あるかについて、ちゃんと数えてみた人は一人もいないのではないだろうか。私も虹を見る機会に恵まれるたびに数えてみたのだが、四色くらいまでがやっとで、とても七色まではみつからなかった。

 太陽光のスペクトルに七色の光が存在することに、私たちは全然疑問をもたないが、アメリカやイギリスで手に入れた虹に関する本では、六種類の色しか記載されていないのが普通である。何年か前にボストン大学を訪れたとき、学生のための天文実習室に張ってあった太陽光のスペクトルを示す絵も、六色で塗られていた。

 なぜこのようなことが起こってくるのか。私が考えだした解釈は、私たちが木や草の緑の葉を青葉と呼ぶことと関係している。現職の緑が青味がかってみえるのは、二本の風土における湿度の高さに原因がある、というのが私の見方である。水蒸気が波長の短い青い側の光を効率よく散乱し、自然の景観の背景に青い色をくりひろげるようにしてしまうからである。

 このことは私たちが、アメリカやイギリスの風土ではほとんどの人が感知しない藍色を鋭敏に捉え、この色に特別な愛着を仕向ける原因ともなっているものと思われる。そうして他方では、太陽光のスペクトルにも、虹にも、私たちは七色の光をみているのである。

イギリスもかなり湿度が高そうじゃん?とか、こういう文章に「私たち」という言葉を使用するのはやめようよ!とかブツブツ思いもするが、それでも<色を少しでも多く感知することができる>というのは素敵なことだから、その部分については心から素直にうれしく思う。


自然の中の光と色―昼の月はなぜ白い (中公新書 (1030))