トリスタンとイズー物語

 婦女の怒りこそ怖るべきもの、人は心してこれに備えねばならぬ! この世のものならず愛していたひとに、いちど心がかわるならば、世にもおそろしい復讐を加えるのも女というもの! 女心は恋しやすく、憎悪の念もまたわきやすい。しかも怒りは一度くれば愛のまことより長くもつづく。婦女子には愛の心は制御しえても、憎悪を制することはできない。壁にもたれて白い手のイズーは、トリスタンの言葉をのこらず聞いた。これまでどれほど心からトリスタンを愛していたか! ……それだのに、ほかの女に対するトリスタンの愛を知ってしまった。彼女はこれらの言葉をしっかりと胸にたたみこんだ。いつか機会さえあれば、世をかえてもと愛している男の上に、さぞかし復讐を加えるだろう! しかしそんなそぶりは見せなかった。部屋の戸が開くやいなや、彼女はトリスタンの部屋へはいった。そして怒れる心をおしかくして、恋人らしくいつものように親切に仕え、なにかといい顔をしてみたり、優しい言葉をかけたり、唇の上にくちづけしたり、また、病気を癒してくれる医師を、必ずカエルダンはつれて帰るであろうかなどと、話したりするのだった。けれどもそれはうわべだけ、底にはつねに復讐を探しもとめているのであった。

主役のトリスタンと黄金の髪のイズーも中盤から嫌いで嫌いでしょうがなくなり、やることなすこと呆れっぱなしだったが、最後の心のよりどころであった白い手のイズーにもがっかり。気持はわからないでもないが、だからこそがっかり。てゆーか、「憎悪も制御しがたいけど、(それでも)愛の心も制御できない」ということこそが真実ではないか。それこそが婦女子の婦女子たるゆえんではないか。


トリスタン・イズー物語 (岩波文庫)

トリスタン・イズー物語 (岩波文庫)