子どもを産む

 さて、この山村に初めて足をふみ入れた夏の昼下がり、そのFさんにつれられて私はU子さん(明治33年=1900年生まれ)の家を訪ねた。家族は全員仕事に出ていて、U子さんは縁側で涼んでいた。「この先生がねえ、お産した時の話、聞きたいんだって。U子さん話したげてくれんかねえ」と、まずFさんが切り出してくれる。

 U子さんは、ゆったりと私の方に目を向けると、「わしらはなーんもたいしたお産なんかしとらん。ぜーんぶじいさんがかかえてくれてしただけ。へその緒もじいさんが切って、生まれた子を洗ろといてから山に行きよったけんなあ。そうそう三番目か四番目の時は、終わって山へ行ったのにすぐもどって来て、(男か女か)どっちじゃったか見るのを忘れとった、というたこともあった。なんいうても、わしらはお医者も呼んどらんし、お金もかけとらん、猫とついな(同じような)お産しか、しとらんけなあ、なーんも話したげるような立派なことしとらんのよ」と気の毒そうに言われて、もう私はマンガチックに言えば、「ドヒャー!!」と驚いた。

 なんとこの人は、こんな山深い村で、もう6、70年も昔に、男性参加型、いや夫婦協力型坐産をしたといっているのである。しかも、そんな夫婦協力型坐産がこの山嶽信仰の厚い村で、その昔ほとんど誰もがした当たり前のお産方法だったと言っているのである。私は、しばらく次の言葉がでなかった。

<中略>

 私はこれまでに本においては「男はお産の場にいるものではない」、なぜなら「男がいるとお産は難しくなる」と言われているからと思っていた。こういう考え方は誰が主張したというわけでもないが、しかし日本中のそこかしこに強くあるように思う。したがって私は知らぬ間に、しかも強烈に、その考えを自分の態度として取り込み、身につけていた。

<中略>

 いや私だけじゃない。どうも日本全体の人たちが、産婦も助産者も、お産については女だけでするのが日本人らしいお産のやり方と思い込んで、一方の言い伝えだけしか知っていない。夫婦参加型出産といえば、ラマーズ法とか外国から伝わった新しい出産方法だと考えている。けれども実は、私たちのおじいさんやおばあさんが遠い昔からしていた方法だったのである。この村の分限者も、あまり豊かでなかったU子さんもこの方法を採用し、ほとんど1960年頃まで行なわれていたのに、その後この出産方法は、身近な息子や娘にさえ全然伝わっていない。

 もし、若い妊婦が「私は彼と一緒にお産するのよ」と言ったとき、「あら、昔、山の村でおじいさんとおばあさんがやった方法ね」と答えたらどんな顔をするだろう。「そうじゃないの。新しく外国の先生が考えたすばらしいお産方法よ」と目をむいておこるような気がする。

『分娩台よ、さようなら』を読んだ後だっただけに、なおさら「ドヒャー!!」だった。『分娩台よ、さようなら』では医師としての現場からの視点で書かれてあった<ある意味ちょっと特別なこと>が、こちらでは(著者の専門であるらしい)社会学的な観点や歴史を主なよりどころとし、<あくまでも普遍的なこと>として書かれてある。後半に従ってどんどんフェミに傾いていくきらいもあるので安易にひとに勧められるような本ではないが、多角的な視点での種々のリサーチ結果がそれなりにちゃんと掲示されている、というのは実によい。個人的な体験で得た知識や考察よりも、まずは明解でわかりやすい資料の提示を!というひとにはうってつけの「お産本」かもしれない。



子どもを産む (岩波新書)

子どもを産む (岩波新書)