赤ちゃんは世界をどう見ているのか

 動きを見ることは、形を見ることとはまったく異なる。なんと、モノの形ははっきりわかるにもかかわらず、動きがまったく見えない脳損傷患者が見つかった。非情に稀なケースで、動きを担当する脳の部位だけがピンポイントに損傷を受けてしまったのである。

 この患者が見るのは、動きだけが欠けた世界だ。形はといえば、ごく普通に見ることができる。たとえば、コップに水差しで水を入れようとした時、コップや水差しや水はごく普通に見ることができる。しかし、コップに水が徐々にたまっていく動きをとらえることができない。

 患者が見るのは、あくまでも静止した、水差しとコップと水の世界である。動いていることを知る鍵はただひとつ、さっきの光景と今の光景のどこが違うかを探り当てることだ。まるで間違い探しをするかのように、さっきと比べてコップの水の高さがほんの少し変わったことをよくよく考え推察するのだ。とはいえそんな悠長な判断では間に合わない。こぼれるまで水をそそいで、初めて水がたまっていたことに気づくこともあるそうだ。

「なんと、…脳損傷患者が見つかった」という書き方は好奇の視線むきだしで好みではないが、この病状についての説明を読みつつなんとなくマルケルの『ラ・ジュテ』に思いをはせてしまった私はもっとたちが悪い。反省。

 


赤ちゃんは世界をどう見ているのか (平凡社新書 (323))

赤ちゃんは世界をどう見ているのか (平凡社新書 (323))