お産の知恵

 玄悦は1766年(明和3年)に産科の専門書『産論』全4巻を著していますが、このとき彼は六七歳になっていました。『産論』の中で玄悦は、妊娠の日数は280日で、前後1、2週のずれがあっても正常であるとしています。悪阻(つわり)は、45日から50日続くものとしてその記述も実にはっきりとしています。

 骨盤の外形について男女の差があることにふれ、正常妊娠の胎児の位置についても記しています。西洋医学の祖、ヒポクラテスアリストテレスも、胎児の位置について、頭は上にあるもので、出産のときに下へさがるとしていましたのに、玄悦ははじめから頭が下にあるのが正常としています。これは、今はだれひとりとして疑う余地のない当然のことですが、当時としてはまさに世界的な発見で、緒方正清は『日本産科学史』の中で「日本医学の大きな名誉である」と述べております。のちに、玄悦のこの説をシーボルトはヨーロッパへ学術的に紹介してくれました(151ページ参照)。

*151ページ

 西洋では、ギリシャ、ローマ時代になって医学も少々科学的になりましたが、その後中世にかけては宗教の力がたいそう強くなり、十五世紀頃までは医療も僧の手にゆだねられていました。男性は産婦人科にはタッチしない、そういう下卑たことは絶対にしないという風習があり、産科には誰も手をつけないままに過ぎました。その点、日本では、『医心方』以前から産科は医師の手にあり、科学的に扱われてきました。内科医も漢方の影響を強く受けていましたから、十五世紀頃まで、あるいは十八世紀半ばまでは、日本の医学のほうが西洋より進んでいたといえます。

 賀川玄悦は、「胎児の頭は妊娠初期から出産まで、終始下を向いている」という説を立てました。ヒポクラテス以来西洋医学では、「胎児の頭は妊娠初期には上にあって、出産前に下に向きを変える」と信じられていました。

 玄悦の説は、実に世界ではじめて明らかにされたもので、のちにシーボルトは弟子の美馬順蔵にこの学説をオランダ語で書かせ、シーボルトの叔父の手でドイツのフランクフルト・アム・マインの産科学雑誌に発表しました。文政八年(1825年)のことでした。

 「玄悦でかした!」というのももちろんあるが、ここで何よりも興味深いのは、やはり「さすがシーボルト、抜かりねぇなぁ」ということなのではないだろうか。

お産の知恵―伝えておきたい女の暮らし

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