波うつ土地

「すっごく、かわいい顔したもんね。あの、かわいい顔を見たんだもん、だからもう、どんなにスゴんでもだめだよ」と男はその後、なにかある度にいうようになった。わたしの「カワイイ顔」は、男のとった鬼の首だったのである。男によるとわたしは性交する前かあとに、たいへん「カワイイ顔」をしたのだそうである。

 男の鬼の首であるわたしの「カワイイ顔」は、男がわたしを「女」だと確認した証拠品なのである。男が、わたしの或る一瞬の顔を「カワイイ」と見た、或いは見たと思ったことによって、わたしをはっきりと「女」に位置づけることができたのである。それで、男は大いなる安心を得たのである。エラソーなこといっても、やっぱりオンナだったんだよ、と。それで男は、緊張が解けて、打ちとけた言葉づかいで喋ることができた。それともうひとつ、男を安心させたのは、鬼の首であるわたしの「カワイイ顔」が、男より女の年齢が二ツ上であることの意識、即ち緊張感、嫌悪感、異和感(ママ)、威圧感のようなものを薄めるかなくすかの役目を果たした。結局、「カワイイ顔」によって、男は自分の下の位置にわたしをおくことができ、それでたいへん安心を得て緊張がなくなったのである。

こういうタイプの男はうんざりするほどたくさんいるものだが、それを知ったうえであえて逆手にとる女もこれまた多いものなのだよな。なんてこともきっと富岡多恵子は知り尽くしたうえでこれを書いたんだろうなぁと思うと、まったくもってぞくぞくする。その底意地の悪さに心底ぞくぞくする。


波うつ土地・芻狗 (講談社文芸文庫)

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