ラム著/西川正身訳『レスター先生の学校「幼いマホメット教徒」』

…ところが、あのときは、不幸なことに、そうしなければならないことに気がつかないでしまいました。どうして、それに気がつかないで、変なことをしてしまったかといいますと、たぶんそれは、おかあさんが、ご主人にならって、わたしに話しかけてくださることが、ほとんどなくなってしまったためだろうと思います。じじつ、長い一日のあいだに、一言でも、ことばをかけてくださることが、ぜんぜんといっていいくらい、なくなってしまったのです。ですから、年よりの召使いたちが、長い廊下ですれ違うときに、「マーガレットさん、おはよう」といってくれるほかは、一日の大部分というもの、まるで、ロビンソンクルーソーのように、まったくのひとりぼっちだったのです。そんなふうに、ことばをかけてくれる人が、めったになかったためにちがいないと思いますが、わたしは、正しいことと、まちがっていることとの区別を、すっかり忘れていました。それで、図書室であの本をよんでいたあいだじゅう、これはいけないことをしているのだと考えたことは、ただの一度もなかったように思います。

イスラーム関係の本を読むのがよくないことなのかどうかとゆーことについては(この本が出版された時代も時代だし)おいておくとして。 とにかく「あまりにさびしいと人はダメになる」とゆー説についてはもっともだ!と思う。思った。