胎児の環境としての母体 幼い生命のために

 排出された卵の ”半分の生命” は約二四時間(それ以上経過すると過熟状態になり、受精能力を失います)。男性の精子つまり ”半分の生命” の受精能力は約七二時間。もし受精が起きなければ、これほど短い ”生命” しかないものが、受精すれば、つまり一人分の ”生命の基本” を獲得し、正常に発達の過程をへて一個の生命として誕生すれば、零歳平均余命(平均寿命)で約七〇年も生命を保つのです。

 受精とは、これだけのことを考えただけでもまことに画期的な現象です。生命というものは、こうして二種の全くちがう半分同士の合体によって全く新しく作り出されるものです。その合体後、しばらくは受精卵(欄と精子の合体したもの)は、新しい生命のスタートの準備を整えるべく、じっとして新しい活動を開始しません。

 それは、卵にとっても精子にとっても、この受精という現象がいかに大きな変化であったかということを示しているのです。これは全くちがった個体からでてきた半分同士の合体なのですから。もしこれが受精という新しい生命のための現象でなければ、別個体同士のものの合体というのは起り得ない現象だからです。

 こんなことがあります。幼い子が誤って大やけどをしました。皮膚呼吸が足りなくなるのを補うために、母親の皮膚を幼子のやけどの部分に移植します(ただ、これも母親と幼子の血液型が同じ場合に限ります)。一時は移植された母親の皮膚は幼子の皮膚呼吸を助けます。しかし終局的には、せっかく移植された母親の皮膚は脱落してしまうのです。

 これはなぜでしょうか。母親の皮膚は幼子にとって ”他人のもの” だからです。生命個体には、自分の生命体を他の生命体から区別する働きがあります(これを ”免疫” といいます。免疫については後の章で必要に応じて述べます)。幼子の生命そのものからみれば、その身体から生れ出た母親といえども、あくまで ”他人” なのです。ですから移植された皮膚は ”他人のもの” として区別され、脱落してしまうのです。この事実と ”受精” という現象を比べてみてください。卵と精子、それはまったく他人同士のものです。しかし、この現象に関する限り、他人同士のものが完全な ”合体” をして新しい生命となるのです。

 その大事業(?)の後なのですから、しばらくは受精卵は活動を開始しないのです。

 受精は、卵管内で行われ、卵管内でゆっくりと活動を開始しつつ、卵管から子宮へと移動して行きます。この間は、いわば ”浮遊状態” であり、根なし草のようなものです。母体が ”妊娠” と気づくはずもないのです。

 受精卵は二四時間くらいすると、ようやく新しい生命としてのスタートの準備を終り、活動を開始します。それは ”分割” (卵割ともいう)という活動です。

中略

 受精後四日半(以後は受精後という言葉を省略)、胎芽の細胞数は一〇〇コを超えています。一日間は受精のショックを調整するため活動しなかった胎芽はその後わずか三日半で、もうここまで ”発育” したのです。この頃、胎芽は母体の子宮内には入っていますが、まだ根なし草の状態にあります。そうして受精時〇・一ミリメートルという小さな一コの細胞だったところから、ほとんど大きくなってはいません。

中略

 こうして胎芽は、まず、確実に ”生命の基本” をふやすことに専念する活動をするわけです。まだ母体の子宮に根を下していない胎芽は、母体から栄養をもらえない状態です。胎芽の、この ”生命の基本” をふやす分割の栄養には、ヒトの卵が、量としては非常に少ないものですが、ニワトリの卵黄と同じような、排卵の時、母体からもらってきた卵黄を使っているのです。

 こうして四日半、胎芽の発育の第一段階は終りました。卵黄を母体からもらってきたとはいっても、受精後、ここまでは、とにかく全く独立した状態で、発育し、細胞数も一〇〇コを越える状態にまでなったのです。卵黄も、もう残り少ない状態です。いよいよ母体から栄養を供給してもらうための準備にかからなければなりません。根なし草の状態から、子宮内にしっかりと根を下すこと、それを ”着床” といいます。胎芽は、自分の方から蛋白質を分解する酵素を出して、蛋白質でできている母体の子宮の内壁を溶かして、着床を始めます。これは七日目頃にあたります。

 ここで、自然の仕組んだ単純でありながら非常に巧妙な仕掛けがでてくるのです。

 受精という現象のところに、ちょっと戻ってみましょう。精子アルカリ性に強く、酸性に弱いことはかなり知られていることです。そうして女性の膣内は酸性、子宮はアルカリ性の状態になっています。女性の膣内が酸性であることは、弱い精子は子宮内に侵入することを許されない、つまり弱い受精卵を作らないという、自然淘汰の仕組みとされているのです。

 受精卵ー胎芽は卵管から子宮内に入ってくると、子宮内のアルカリ性が強いところの子宮内膜を溶かして着床するという点です。これはそのような性質の蛋白質を溶かす酵素を出すからです。女性の膣内が酸性であるということは、子宮口のところで仕切られていて子宮内がアルカリ性になっているといっても、酸性になっている膣に近い子宮口付近よりは、子宮の上部の方(子宮底部)がアルカリ性が強くなるわけです。

 そうすると着床する胎芽はその性質に従って、子宮底部の方に着床しやすくなるわけです(それがもし、子宮口に近い部分に着床すれば、前置胎盤といって、出産時に胎盤早期剥離というたいへんに危険な状態となってしまうのです)。

 自然淘汰をしながら、しかも着床という働きのためには安全になるように仕組まれた酸とアルカリの性質。自然は心憎いくらい巧妙に仕組まれているわけです。

身ごもったということで何冊か出産本を読んでみたが、どれもマニュアル的なものばかりで退屈だった。ビジュアル重視のものはなかなかおもしろかったが、興奮にまではいたらなかった。が、これは(特にこの章は)文句なしにワクワクできた。はるか昔に授業で教わったような気もするが、それでも妊娠ってすげぇ!とあらためて思えたのが嬉しい。まさに身体宇宙論だ。最高だ。


胎児の環境としての母体―幼い生命のために (1976年) (岩波新書)

胎児の環境としての母体―幼い生命のために (1976年) (岩波新書)