隣のイラン人「イランの感性」

 神戸の大地震があって一月ほど後のこと、「災害地へ行っていたの?」と聞かれた。若い人ならともかく、私のような年齢の者がいっても足手まといになるばかり。「行かなかった」と答えると、彼はめったに見せない失望の表情をした。

 「行って、罹災した人たちと泣いてくればよかったじゃないか」

 私はハッと胸をつかれた。災難にあった人に私たちが第一に考えるのは、物とかお金を送ることかもしれない。とくに知人がいるのでもなければ、抱き合って泣いてこようなんて考えもしなかった。

私もこのレザーさんのような感性をもてる人になりたい。


隣りのイラン人

隣りのイラン人