獄中記

 悲哀のあるところには聖地がある。いつか人々はこの意味を身にしみて悟ることであらう。それを悟らないかぎり、人生については全く何事も知ることが出來ない。××君やさういつた性質の人ならこの意味がよく分るはずだ。私が獄中から引き出され、二名の警官にはさまれて、破裁判所に行つた時、××君はあの長い陰氣くさい廊下で待つてゐて呉れた。それは私が手錠をかけられ、うなだれたまま彼の傍を通りすがるとき、寄つてたかつた群衆の前で、彼は嚴かに帽子を取つて私に挨拶せんが為めであつた。その愛らしい飾り氣のない行為に群衆は鳴りを鎭めて仕舞つた。これよりももつとたわいないことで天國へ行つた者はいくらでもゐる。聖者が貧しい者の前に跪いてその足を洗つてやつたのも、或は、身をかがめて癩者の頬に接吻したのも、かうした精神においてであり、また、かうしたたぐひの愛をもつてやつたのである。彼のなした行為に就いては、ただの一言も當人にいつたことはない。彼の行為を私が氣づいてゐたことを彼が知つてゐるかどうかすらも、いまのいままで私は知らずにゐる。かうしたことは、形式的な言葉で形式的な感謝を示すべき事柄ではない。私はこれを心の寳庫に仕舞ひこんでおくだけである。とても返濟など覺束ない??さう思ふと嬉しさがこみ上つて來るのだが??祕められた負債だと思つて、仕舞つておくだけなのである。それは多くの涙といふ沒藥と肉桂とで防腐され、いつまでも薫り高く保たれる。智慧も私には役立たず、哲學も無益であり、せめてもの慰めを與へようと力めた人たちの與へた箴言や名句は、私の口にのぼせると、塵か灰のやうにしか感ぜられないやうなとき、このささやかながらも美しい無言の愛の行為の想ひ出が、私にあらゆる憐れみの泉を開いて呉れたのである。沙漠を薔薇さながらの花と薫らせ、獨りさびしく世を追はれしものの苦澁から私を遁れさせて、この世の傷つき破れた偉大なる心と調和させて呉れたのである。××君の行為が如何に美しかつたかといふことだけでなく、それがなぜかうも自分に取つて意味深く感ぜられたか、また、この後いつまでも意味深く身に沁みて感ぜられるかを世の人に諒解することが出來て初めて恐らく彼等は、いかやうにして、また如何なる魂において私に歩み寄るべきかを、如實にさとることであろう……

××君のような人ってけっこういるというか、今までずいぶん助けられてきたよなぁ。とゆーことをあらためて思い出させられ読んでて泣きそうになった。てゆーか文章が華麗すぎ大仰すぎ、つまり素敵すぎ。


獄中記 (角川文庫ソフィア)

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