今、世界はあぶないのか? ルールと責任 佐藤学による解説より

だれかが不利益をこうむる不公平なルールがあった場合、そのルールをつくり直すか廃止する必要があります。その責任も私たちは負っています。一つ例をあげましょう。最近、多くの公園でお年寄りのゲートボールと幼児の安全のために「サッカー禁止」のルールを掲示しています。このルールは不公平だと思いませんか。公園はみなのものです。サッカーが好きな子どもたちにも公園を使う権利があるはずです。このルールが不公平だと思ったら、市役所に新しいルールを提案しましょう。「午後3時から5時まではサッカーを行ってもよい」というルールにすれば、すべてのひとが幸福になれると思います。このように、家庭にも学校にも地域にも「不公平」と思われるルールはいくつもあります。それらのルールを公平なものにつくり直すことも私たちの責任です。


ルールは私たちの責任によって成り立っています。責任は「ひき受けること」を意味しています。クラスでいじめが起こったとき、自分は関係ないと知らぬふりをすることは、責任のある行動とは言えません。クラスの子どもの人権が踏みにじられているのですから、その苦しみをひき受け、いじめた人の責任を追及し、いじめが起こらないルールづくりをみんなで行う責任があります。クラスのだれもがこの責任を負っているのです。

 

責任は「ひき受けること」を意味する。これが一番難しい。オリンピックもコロナも何もかもいやなことばかりの毎日だけど、それでは私はいったい何をひき受けてきたのかと問われると何も言えない。