獄中記

 生きてゐるうちに、「自己の魂を自分のものにする」人々が餘りにも少ないのは悲劇的なことである。エマスンは「如何なる人においても自らの行為ほど稀れな尊いものはない」と言つてゐる。全くその通りである。大抵の人々は他人の生活をしてゐる。彼等の思想は他人の意見であり、その生活は人真似であり、その情熱は他からの借物に過ぎない。キリストは最高の個人主義者であつたばかりでなく、實に歴史あつて以來の最初の個人主義者でもあつた。人々は彼を通り一遍の博愛主義者と解しようとしたり、或は利他主義者と見て、非科學的な、かつ感傷主義的な人々と伍せしめた。だがしかし實際のところ、かれはその何れでもなかつた。もちろん、彼は貧しき者獄屋に繋がれた者、賤しき者、惨めな者に對して、憐憫の情をもってゐる。しかし富める者、かたくなな快樂主義者、物の奴隷となつて自らの自由を浪費する者、柔らかき衣をまとひ、王者の家に住ひする者に對してはもつと多くの憐憫の心を抱いてゐる。富と快樂とは、彼には本當に貧窮や悲哀よりも大きな悲劇であるやうに感ぜられた。それから愛他主義について言へば、われわれを決定するものは、意慾ではなくて天命であるといふこと、そして荊棘から葡萄を、また薊から無花果を摘み得ないことを彼よりよく知つてゐるものがあつたらうか。

あまりに耳が痛くて苦しくて、でも、逆に開き直れるような気もして嬉しくもなる。


獄中記 (角川文庫ソフィア)

獄中記 (角川文庫ソフィア)