水の妖精 睡蓮と蓮の世界

温帯スイレンの交配の歴史

………スイレンに東洋的なイメージを重ねる方も少なくないが、赤やピンク、そして黄色のスイレンは園芸種であり、そのほとんどが海外から入ってきたものである。しかも明治の終わり頃から入ってきたもので、意外に歴史は浅いと言える。世界的に見ても温帯スイレンを園芸植物として扱うようになったのは、19世紀の終わり頃にフランス人の園芸家、マルリアク(Joseph Bory Latour-Marliac 1830-1911)が原種をもとに交配を行い、様々な花色や花型を持つ優れた品種を作り出してからである。マルリアクは100を超える品種を作出し、自身の経営するマルリアク・ナーセリーを通じて世界へ供給した。そして現在でもその多くの品種が世界中で受け継がれている。マルリアクのスイレンは当時非常に驚きを持って迎えられ、カラフルなスイレンを見慣れていなかった人々は、彼を「魔法使い」とさえ称した。

 

明治の終わりだなんて、なるほど日本におけるカラフルな睡蓮はチューリップよりも新参者ということになる。ところで睡蓮でフランスと言えばモネだけど、調べてみたらモネは1840年生まれだった。マルリアクさんとは10才しか離れていない。さらに言えば、モネが自宅に睡蓮の池をつくったのは1893年とのこと。もう53才!それまでのあいだ、この二人になんらかの接点や交流はあったのだろうかと考えるとワクワクしてくる。庭造りのアドバイスをもらっていた、なんてことはないのだろうか。