ファービアン

「きみは苦行者になるとよかったね。でなきゃ未決囚か何か、暇な人間になると。記事が必要で、何もない時はでっち上げるんだ。よく覚えときたまえ」ミュンツァーはそう言って、腰を掛けると、無造作に二、三行書きとばして、イルガンクに渡した。「さあこれでいい。これをもっていきたまえ。それで足りなきゃ字間を四分の一あけるんだ」

 イルガンクは、ミュンツァーの書いた原稿を小声で読んで「驚いた!」と叫ぶと、急に気分が悪くなったように、寝椅子の上の、山のように積んだ国外新聞の中へドッカと腰を下した。

 ファービアンは腰を屈めて、イルガンクの手の中に震えている原稿を読んだ。「カルカッタでは回教徒とインド人の間に市街戦が行われ、間もなく警察に鎮圧されたが、このために十四名の死者と二十二名の負傷者が出た。秩序は完全に回復された」

 老人が一人スリッパを引ずりながらはいってきて、タイプライターの原稿を五、六枚ミュンツァーの前に置いた。「首相の演説のつづきです。あと十分で残りが全部でき上がります」と、つぶやくようにいって、またスリッパを引ずって出ていった。

 ミュンツァーは老人の置いていった六枚の原稿を糊で接ぎ合して、中世紀の格言集のような形にして、編集を始めた。「何をぐずぐずやっているんだ、イエニ-!」と、彼はイルガンクを横目で見た。

「だって、カルカッタには暴動なんか一つも起ってやしないですよ」それからイルガンクは首を垂れて、「十四名の死者」と、うわごとのようにつぶやいた。

「何? 暴動が起ってないって?」ミュンツァーはムッとしながら、「まず証明してもらいたいもんだね。カルカッタにはいつだって暴動のない時はないんだぜ。それとも(太平洋にまた海蛇が現れた)とでも報告しようかね? よく覚えときたまえ、いいかね、嘘だってことが証明できないか、できてもそれまでに五、六週間かかるようなニュースはみんな本当なんだ。分ったら早く引さがりたまえ! ぐずぐずしてるとのして、市内版の付録にしちゃうぞ!」

 見習いは出ていった。

「あんな奴がジャーナリストになろうっていうんだからねえ」と、ミュンツァーはうめくようにいって、溜息をしながら、青鉛筆で首相の演説に棒を引いた。

「ああいう青年は時事ニュースの民間学者にでもなるといいんだよ。ところが、あいにくそんなものはないんだ」

「いったいきみはそんなに無造作にカルカッタのインド人を殺したり、病院へ投り込んだりして構わないのかい」と、ファービアンはきいた。

 ミュンツァーは首相に没頭しながら、「仕様がないじゃないか! いったい、何だってそんなに同情することがあるんだい、彼らはまだ生きてるんだぜ、三十六人とも全部ピンピンしているんだぜ。だって、考えてみたまえ、われわれが削除するニュースに較べれば、でっち上げたニュースの方がはるかに無害だぜ」

 そういいながら、ミュンツァーはまた首相の演説の原文に半頁棒を引いた。

「世論を動かすには論説よりもニュースの方がそりゃ有効さ。だが、しかしだね、最も有効なのは論説もニュースも書かないことだよ。世論ほど扱い易いものはないよ、一番楽な世論は依然として意見をもたない世論さ」

いろんな意味でおもしろい。ケストナーってどれを読んでもハズレなしだなぁ。それにしてもこんな本が絶版になっているだなんてずいぶんおかしな話だ。映画化されてもいるらしいというのに。てゆーか作者はケストナーなのに?