松田嘉子『ロトフィ・ブシュナーク日本公演のパンフレット』

 そのような才能に恵まれた素晴らしい歌手の歌声を、一晩中聞いて楽しむことはサハラ(夕べ)と呼ばれた。サハラをこなし、聴衆にタラブを与えられる歌手が最高の歌手である。タラブとは、これもアラブ人がよく口にすることばで、音楽や歌によって得られる恍惚、陶酔の状態を言う。10世紀アル・イスバハーニーに記録された「歌の書」の時代から、名歌手の歌う恋歌に我を忘れて衣服をひきさいてしまったカリフの話など、タラブにまつわる話は枚挙にいとまがない。音楽の理想はタラブなのである。

ああ、あれはタラブだったのか。何もアラブ音楽に特化することはない。きっと、あれもこれもそれもどれも、きっとタラブだったんだ。