林芙美子の思い出/林 福江

 叔母とは最初、私が小学校3年から6年までの間、一緒に暮らしました。そうですね、覚えているのは、遠足の前の日、円タクを呼んで伊勢丹デパートにお菓子を買いに連れてってくれたことでしょうか。ウィスキー・ボンボンやジェリー・ビーンズとか3~4種類買ってくれました。「放浪記」を出版した後でしたから、叔母を知っている店員さんがいて、「ほら、林芙美子よ」って言っていましたね。

<中略>

 叔母は社交的な性格で、ちょっと時間があるときはお客さまとお酒を呑んだり、自分で料理をしてもてなしていました。お友達もいろいろ訪ねていらっしゃいましたよ。壷井栄さん、平林たい子さんはしょっちゅう、後は、大原富江さん、真杉静枝さん、佐多稲子さん。叔母の葬儀委員長をしてくださった川端康成さんは、痩せて目がぎょろぎょろされて怖い感じでしたが、なかなかお優しい方でした。三島由紀夫さんもいらっしゃいましたね。叔母とは随分年齢が違いますから、「あっ、先生、お久しぶりでございました」って丁寧にご挨拶されていましたね(笑)

アトリエに飾られていた雑誌の切り抜き拡大コピー。なんとまぁ豪勢でうらやましい小学生なのか!(そもそもこんな素敵な庭のある家に住んでいた、ということからしてうらやましくてしょうがない)というのはもちろん、中盤での「記憶に残る当時の文士たち」についての記述がおかしい。てゆーか、唯一容姿について言及されている川端が切ない。まー、確かにあの眼光は小学生にはきつかったんだろうなぁ。よっぽど怖かったんだろうなぁ。